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インフォメーション

『土と平和の有機農業セミナー』をおこしました!

【場所】:種まきステージ・土 @小音楽堂

【時間】:10:45~12:30

【主催】:NPO法人全国有機農業推進協議会

【司会】:●戎谷 徹也(大地を守る会理事)

【挨拶】:●藤本 八恵(種まき大作戦実行委員長)

【基調講演】:●金子 美登(NPO法人全国有機農業推進協議会理事長/霜里農場・埼玉)

【パネラー】:

●富樫 一仁(NPO法人秀明自然農法ネットワーク・北海道)
●武田 泰斗(花咲農園・秋田)
●小野寺 紀充(庄内協同ファーム・山形)
●千葉 康伸(土佐自然塾・神奈川)
●佐藤 真吾(財団法人自然農法国際研究開発センター・千葉)
●関 徹(いなほ新潟・新潟)
●松尾 康憲(長崎有機農業研究会・長崎)

【まとめ】:●加藤 登紀子(種まき大作戦世話人)

【内容】

●戎谷 徹也)ただ今、ご紹介に預かりました大地を守る会の戎谷と申します。

これから「種まきステージ土」というテーマで、1230分までセッションの司会進行をさせて頂きます。どうぞ、宜しくお願い致します。
最初に、種まき大作戦実行委員長の藤本八恵さんから、この土と平和の祭典にかけたメッセージを、まずご挨拶頂きたいと思います。藤本八恵さん、宜しくお願い致します。

●藤本 八恵)皆さん、おはようございます。Yaeです。

今日は本当に雨が心配でしたが、日頃の行いが良いということで、晴れるということで。今日はゆっくり、皆さんに夕方まで、この農業、「業」でもない、その生活としての「農」としての、私たちが持続可能な未来を生きて行くために、土と共に生きて行こうという、そういうテーマを持って、繋がりを持とうというテーマで、今日は夕方までたっぷりと、皆さんと共に1日過ごしていきたいと、楽しんでいきたいと思います。

2002年、私の父、藤本敏夫がこの世を去って。その父から身を持って教えられたキーワード、それは「生きるということは、食べることだよ。人は食べないと生きていけないんだ」という事を、本当に教えてくれたような気がして。私は「食べる」という事に、すごくその時から意識をし始め、「食べるという事は、人を良くするって書くでしょ」って言われて。ああ確かに、人を良くする本当の食べるというものを、もっともっと私達は今、ここで見つけなければならない。そういう風に思って、千葉県の鴨川市という所で、父が築いた鴨川自然王国というのがありますが、そこに暮らして6年目を迎えて。ブースが一番向こうの方に出ていますが、今年はお米を持ってきております。一百姓として、本当にゼロからスタートして、土と対面して生きていく。こんなに素晴らしいことはないなあ、子育てをしながら、土の上で生きていける幸せという、安心感というものを持って、今生きています。

今日はそんな意味でこの土と平和の祭典のステージ、3つありますけれど、この場を、この空間を、この時間を、皆さんが1つに繋がれるという意味で大いに活用して頂きたいと、そういう風に思っております。

素晴らしいゲストの方々が、たくさん登場いたしますので、じっくりと農について、生き方について、皆さんが心の中で見つめ合える、そんな時間だと思います。是非、楽しんで頂きたいと思います。ありがとうございます。

●金子 美登)皆さん、おはようございます。ご紹介頂きました、金子美登と申します。

埼玉県のほぼ中央で、有機農業を始めてほぼ40年になります。村に帰って、ほぼ1人で始めまして、一言でいえば「勇気のいる農業」でした。ただ、ここまでやり続けて、村全体が、昨年ほぼ有機農業に変わりました。

村を起こすというのは、コツコツコツコツ、良い土を作って、仲間を増やしてやるしかないですね。やってきて良かったなと、つくづく思っております。

私自身、有機農業を始めるきっかけは、昭和45年、1970年ですけど、お米の減反政策が始まりました。

これは、田んぼに草を生やしておいても補助金をくれるという現場に立会いましてね。こんな政策ですと農民がやる気をなくしますし、国民は主食のお米を大事にしなくなるのではないかなと。またこの年、昭和45年はですね、お母さんの母乳から、赤ちゃんに飲ませてはいけないくらいの農薬残留が出たという年でもありまして。それらを考える中で、とにかく安全で美味しくて栄養価のあるものを作れば、12,000万の誰かが支えて応援してくれるのではないかということで、有機農業を始めました。

今考えると驚くのですが、消費者10軒を見つけるまでに4年掛かりました。もう年を取るし、そんなには待っていられないんですけど、4年掛って10軒の消費者を見つけ、1975年からですね、主食のお米を基本に、どんな変化が起きてもびくともしないような、有機農業の自給区を作ろうということでやってきました。1981年、約10年目ですね、石の上にも10年と言いますけど、10年経った中で、消費者30軒と提携。

日本の有機農業の運動の特徴というのは、生産者と消費者の直接提携です。40年前というのは、スーパーでも市場でも、有機農産物は理解してもらえませんでしたから、自分で消費者を見つけるしかなかった。消費者の方も、私達みたいな変った農家を見つけていく中で、自然発生的に生産者と消費者の提携というのが始まりました。これは、世界から見るとHONDASONYTEIKEIと言っても農業の方には通じるくらいに提携というのは、世界40ケ国位に広がっています。例えばアメリカでは、Community Supported AgricultureCSAですね。地域でその有機農業者を支え、安全な食べ物を、環境を守っていこうという動きがものすごく活発に行われています。フランスではAMAP、イギリスではBOX SCHEME、これは全て日本の有機農業をモデルに提携運動が始まっている点であります。

そういう中で、30軒の消費者と提携ができて、ほぼ有機農業でほどほどに食べていけるなと思いました。これを私は、有機農業は「土に根を張って小利大安」で生きる。政治家や企業家というのは「大利」を得るのですけど、晩年は「小安」なんですけど、有機農業というのは土に根を張って「小利大安」で生きる世界ではないかなと思っています。

そういう事で、30軒の消費者と提携ができて、ほどほどに食べて行けるという事の見通しが立ってからは、今度は村と共に良くなろうってことで、村にも軸足を置いて実践を始めてきました。そういう中で振り返ると、もう22年前になるのですけど、有機農業と地場産業が共に良くなって、それを消費者が支えて、内発的に発展する村づくり・町づくりをしようってことで、1987年に地元の造り酒屋さんが有機米を欲しいということで、私達の無農薬米で無農薬米酒を造ったのですが。22年前、非常に有難かったのは、キロ6,000円で私達のお米を、22年前ですよ、造り酒屋さんが買って下さったっていうことが、そういう形で買い支えてくれるのだったら、俺達も化学肥料や除草剤を使わないで、有機米を作るんだっていうことで、生産者が少しずつ増えて、造り酒屋さんの、青雲酒造って言うんですけど、その社長が私達に勇気と力を与えてくれたのではないかなと思っています。

その後、お酒が、1年後に40俵で約3,800本、一升瓶で出来たと思うんですけど、1年経たずに売れてしまった中で、今度は乾麺をつくる製粉屋さんが私達の小麦を使って、石臼挽き地粉麺というのでも買い支えてくれました。

その後は、お醤油屋さんが、これヤマキ醸造さんなんですけど、さらに2001年には隣町、あるいは小川町の豆腐屋さんが、私達の大豆を使ってお豆腐・納豆で買い支えてくれたのが、小川町で有機農業が拡がっている大きなきっかけになったと思います。
食にまつわる一連の事件が起きましたね。狂牛病・無登録農業・偽装食品、果ては毒餃子・汚染米という一連の事件が起きれば起きるほど、私達がコツコツ、安全・安心で美味しく作った農産物の評価が上がりまして、2001年どういうことが起こったかというと、お豆腐屋さんが私達の大豆を、即金・全量買い上げ・再生産可能な価格で買ってくれるようになりました。
そういうのを見ていた村の私の16歳先輩、私は今62歳なんですけど、16歳先輩の、今78歳ですね、2001年に、ずっと私達の動きを見ている中で先輩がこれから村を引っ張って行くのにどうしようかという時に、「これからは、金子さん達と足並みを揃えて有機農業をやっていきたいのですけど、よろしく」と。16歳先輩の村の実質的リーダーが私のところに来て。非常に嬉しかったです。
私が有機農業を始めて30年目に村が動いたのです。それでは、地場産業とのつながりは、造り酒屋もお醤油屋さんも知っていましたので、「大豆から始めましょう」と。大豆は元々、化学肥料と農薬を使わないで作っていた歴史があるんですね。そういう中で、大豆作りから始めました。
2ha
、その先輩、安藤さんは下里機械化組合の組合長でしたけど、その大豆が全てお豆腐屋さんで、今話したように、再生産可能な価格で・全量・即金で買って頂きまして、村が動いてから急展開しているわけですね。
その2年後、2003年には小麦も有機で取り組み始めました。ヤマキ醸造さんが、お醤油で全て買ってくれる流れが出来まして、あとはお米だけだな。お米だけは、村の人が有機に転換して買い支えてくれる先が無かったのですが、1年は銀座に自然食品・特別栽培以上・有機を使うバイキング方式のレストランの「餉餉(けけ)」というのがあったんですけど、リーマンショックの後店を縮小してしまいまして、1年は私達の村の有機米がなんとか捌けていたんですが、次が見つからないというなかで、私のところは月に1回、農場の見学会を持っていますけど、そこにさいたま市のOKUTAというリフォーム会社、シックハウスに繋がらないような良い資材でリフォームをやっている会社の社長が、私の農場を見た後、話をする中で「よし、分かりました。あなた達の村で出来た有機米は全て買い上げましょう。」どういう風にするかと言いますと、社員の給料代わりにお米で払う。社員が月に5kg、家でお米を使うんでしたら、5kg分の有機米を石高で払います。という決断をしてくれました。
何故かというと、社長はリフォームで、会社で結局良い資材を使うのには、川上、一番良い所まで行って、この資材を確かめて入れないと駄目なんです。「中に流通が入ると、どうしても駄目だ。」という体験をした中で、やがて食糧危機は来るだろう。そして、事故米・汚染米を体験した中で、もう直接そういう村全体で有機に取り組んでいる所から、「有機的関係」を持ちながら、お米も社員の給料の代わりに一部差し上げるという事ができまして。私が有機農業を始めて38年目になりますけど、集落全体が有機農業に転換しました。
農民が生産の喜びと誇りを取り戻して、農民が元気になると村が美しくなるんですよ。美しい国が先ではありません。農民が元気になったら、村が美しくなる。本当にうちの村は美しいです。まだ公表できませんけど、大きな賞を頂ける可能性が出ておりまして、本当にコツコツと積み上げて来たことが良かったのではないかと思っております。
私自身、20068月にできた全国有機農業推進協議会の理事長を仰せつかっていますけど、200612月に、超党派の国会議員で有機農業推進法というものが出来ました。これは、国及び自治体に生産者や消費者と協力しながら有機農業を推進する責務を課した法案、画期的な法案ができました。
私達はそれまでは、戎谷さんのご紹介ではないですけれど、異端児だったのですが、国からちゃんとお墨付きを与えて頂きましたものですから、正々堂々ともう1回じっくりと原点に戻って、有機農業の第2世紀を、皆さんと一緒に作っていきたいなと思っております。
今日、全有協のブースに、「地域拡がる有機農業」。全国、北から南まで40団体以上の仲間達がいろいろな形でメッセージをお書きになった本が売られています。500円で大変お得でございますので、参考にして頂きまして、是非近くの有機農業に熱心に取り組んでいる仲間と、早く食糧・自分の食べ物を自給できない人は、親戚になって頂くというのが、これからは安全ではないかなと思っております。
私達は有機農業をやりながら、さらに種子の自給。有機農業に合った種子をもう1回自給して交換する。種の自給というのは、やはり農民の自立にも繋がりますし、第2世紀が始まって自然農法の皆様と交流会を始めてきて分かったんですけど、転換有機の最初は有機質肥料をたくさん入れなくちゃなんですけど、10年くらい土づくりをして、小動物や微生物が充満した土になりますと、そんなに有機質肥料を入れなくても出来るようになってきます。あとは良い種が手に入るかどうかなんです。良い土が出来ちゃうと、種子さえ手に入れば、設計図は全部、種子の中にあるんですよね、設計図は。ですから、お母さんが赤ちゃんを育てるのに、ちょっとお手伝いする、ちょっと見守る。これが有機農業の特徴です。工業の特徴は、設計図は人間の浅はかな知恵で書きますから。原子力がまさにそうですね。地球を掘り返して、エネルギーは取り出すけども、その燃料滓は消えないっていう。これ、人間の設計図ですから。農業と工業の大きな違いは、土さえ出来れば種子の中に全て設計図があるっていうのがね、これから公害等にならずに循環、永続して循環していく世界を作っていけるのではないかなと思っております。
私自身、もう一つ、安全な食べ物を自給して消費者との自給区ができたら、エネルギーの自給もしたいという事で、1994年から、エネルギー、まずはバイオガスで調理用のガスと、野菜やお米の液肥を賄っております。その他ですね、トラクターを長時間軽油で運転していますと排ガスで気分が悪くなるんですけど、廃食用油でトラクター・コンバインを運転していますが。2年前からStraight Vegetable OilSVOという事で、廃食用油から、小さいゴミを遠心分離器で取り除いて、トラクター・コンバイン・ディーゼル車は運転できるようになりました。
私は農の匠なんですけど、工の匠と出会わないと駄目なんです。有機農業は工の匠とも出会えるんです。そういう人達が「なんとしても、環境とエネルギー問題を解決したい。トラクター・コンバインを直させて下さい」という。そういう有機的な関係が出来まして、ディーゼル代替燃料として廃食用油、お豆腐屋さん・レストランからもらった廃食用油で動かしていまして。見えてきた世界はですね、いよいよ化石燃料、10年後はオイルピークとも言われている。無くなったら、菜の花を植えれば良いんですよね。まず食用油を自給した後、その廃食用油を大事にトラクターやコンバインに使っていくという。昔の「菜の花畑に入り日薄れ」という世界を再現してから、食用油を自給していくという事が大事なのではないかなと思っています。
そういうことで、安全な食物・エネルギーをここまで自給して、農は永遠に限りなく続く世界だな、長嶋茂雄は「読売巨人軍は永遠です。」と言いましたが、当り前のこととして、有機農業というのは永遠の世界が開けるのではないかなと、私自身実感しております。
最後に平和の「和」で締めくくりたいと思うんですけど。平和の「和」というのは、ノギ編に口って書くのです。日本は元々五穀豊穣と言われるくらい、穀物がたっぷり生産できる国です。本当はそういう、穀物がもうたっぷり生産できて、多くの人の口に入ることが平和なのだろうと言うことですけど。今の日本はいよいよお米が今16,000円ということになりましたけど。これで音をたててお米づくりの農家はやめていくのではないかと思っています。是非もう一度、安全・安心な食べ物、環境を守り育てる有機農業を、消費者の人もどうしたら支えられるのかを考えて頂きたいなと思います。また、行政に対しては、私は有機農業である程度の方向性を持った農家への補助金というのは要らないのではないかなと。むしろハイブリッド低燃費車に補助金が出るくらいですから。有機農産物を食べたいっていう消費者、或いは学校給食・地場食品産業、そういうところに支援策を行政はするべきではないかなと思っております。
私のところでは、研修生を31年前からお預かりしています。31年前も今も変わらないんですれけれど、もう農家は農業を継がせようとしてないんです。ところが、食べ物はおもちゃやアクセサリーと違いますから、なくてはならないものですので。農業の後継者を育てたいということで、31年前から研修生を年一人ずつお預かりしてきました。最初の一人は、千葉県佐倉市の林さんという。今は有機農業の種苗の第一人者になりまして、もう私なんかより立派になっておりますけど。ここ56年は、研修生希望だらけで毎年78人お預かりしていまして、31年で百数十名の研修生を1年以上お預かりしました。特徴的なのは、100人中95人が非農家です。工業化社会に勤めて、「どうもこれは俺の一生ではないな」、「もっと人間らしい生き方、地域に貢献する生き方をしたい」という優秀な青年達は有機農業を志すんですね。そして3つの選択をしています。1つは、どうしても自分の農地を手に入れて独立しなければ、返せと言われたら肥やした土地を返さないといけないので。自分の農地を手に入れて独立したい人は、例えば北海道の地価の安い所で農地を買って独立します。
もう1つは、消費者あるいは自然食品を販売しやすい所という人は、農家資格を取ってから都市近郊で10aくらい頑張って、農地価格は高いのですけど、農地を買って、家と納屋を建てて独立して、近くの消費者、自然食品店への販売を中心に独立しています。
もう1つは、今、半農半Xという言葉が市民権を得ましたけれど、自分の食べ物だけは有機農産物・有機農業で自給して、あとは自分の得意とするところで収入を得て独立したいという。
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つの生き方があって、独立していっておりますけど、私はこの国を変える最初の起爆剤は、どうも非農家だと思いますね。農業者ではないです。農業者は、最後に気が付くのではないかなというような実感を持っております。そういう中で、研修生を毎年78人お預かりしていますけれど、もう1つは農水省の支援事業で、就農準備校の有機農業専門コースという所で、土曜日・月2回、お勤めしながら有機農業を実際に体験する人を年間28名、4人の有機農業生産者で預かっておりますけれど。どうも時代は相当煮詰まってきた。明治維新・敗戦・今度くらいの大きな変化の時期に、私達は生きているのだと思います。間違いなく、自分の食べ物は自分で作る、自分の命は自分で守る、自分の命を他人に預けないという。有機農業的生き方が重み・価値を増して、やがて「あ、間違いなかったんだな」という時代が来るのではないかなと思っております。
話は変わるんですけど、有機農業の国際会議ということで、今年2月ですね、神戸で約15ケ国の有機農業者との国際会議がありましたけど、どうも象徴的なのは都市や工業化社会を軸にした命が見えないなかでの文明というのは展望が無い、次から次へと起きる事件を見ても、まさにそう思いますけど、もう1回農業・農村という文化を土台に、生産者も消費者も新しい共同体を作っていこうというような流れを、この前の神戸の大会で海外の人達の意見なり交流をする中で思いました。命が巡るなかで、農業・農村という文化を土台にこの国をやり直す、作り直していく。生産者も消費者も、もう1回そういう農業・農村という土台を基に共同体的なものを作っていくというのが、間違いない生き方ではないかなと思っております。まとまりませんでしたけれど、貴重な時間をありがとうございました。

●戎谷)金子さん、どうもありがとうございました。先駆者・金子美登のメッセージを受けてですね、これから若者達に登壇頂きたいと思います。「異端児から始まって」、「から始まって」という言い方はおかしいですね。異端児と言われ、30軒の消費者を集めるのに数年ご苦労されて、今30年たって村が動いた。この歴史というか、経験というのは本当に重みがあるなという風に感じました。

「優秀な奴は有機農業を目指す」という事なので、優秀な人達に上がって頂きましょうか。すごいプレッシャーですけど。7名の方、全国から来て頂きました。この7名の方々、金子さんの想いというか、非常に意味のある話を聞いて、どういう風に感じられたでしょうか。ここで、7名のパネラーからご発言を頂く前に司会から僭越ですけど、前提として僕らはこういう事実を知らなければいけないなと思っている事があります。
先日、農水省が農林業センサスというのを発表しました。農業の動態調査ですね。5年に1回やっております。で、2010年版というのが発表されたのですが、この5年間に農業就業者は22.4%減りました。5年間で、ですよ。22.4%減ったのです。食糧危機が来るぞと言われる時代に。で、平均年齢が65.9歳。66歳になりました。5年後にはどうなるのでしょうか。この年代の人達というのは、なかなか我慢強いというか、生命力逞しい人達なので、まだ生きているだろうと思うのですが。それにしてもですよ、平均年齢が66歳。22.4%の農業者がいなくなったのです。5年前は、埼玉県に匹敵する面積が耕作放棄されていると言われていましたが、5年後・2010年、滋賀県に匹敵する面積が耕作放棄されています。
こういう時代に、「農業をやるぞ」と手を挙げてくれた若者達です。ご紹介します。名前を呼びますので、手を挙げて頂けますでしょうか。
北海道瀬棚町からお越しいただきました、富樫一仁さん。
秋田県大潟村ですね。花咲農園のメンバー、武田泰斗さん。
山形県庄内共同ファームの小野寺紀充さん。
最近の若者、私各地を周りますけど、イケメン系が多いですよ。そんな感じするでしょう。かっこいいな、最近の農業の若者はっていう風に思います。

それから、神奈川で就農した千葉康伸さん。

千葉県匝瑳市から来て頂きました佐藤真吾さん。
新潟県は、米どころですね、南魚沼市から関徹さん。
九州長崎から、島原で農業をやっています長崎有機農業研究会・松尾康憲さんです。
それでは、順番に手前から行こうかな、いいですか?向こうからいこうか。一人5分 で、マイクを順番に流していきますので、この中には研修をして、そして自分で土地を探して新規就農された方々、それから親父さんの後というか、実家を継い で農業を継ごうと決意して就農された若者もあります。それぞれ自己紹介もしながら、今、農業を実践しながら感じている想いを語って頂けたらという風に思い ます。

●佐藤 真吾)改めまして、千葉県の匝瑳市から来ました佐藤真吾です。宜しくお願いします。

私は、後継者になります。就農して7年くらいになるのですけど、自然農法国際研究開発センターというところで1年間研修を受けまして、それから就農という形をとっています。実家はですね、自然栽培をずっとやっていたのですけど、僕が研修先でお米の栽培の研修もしたので、お米の栽培を、ちょっと支援したいなというか、増やしていきたいなという風に思っています。
実際のところ、僕ここに居ていいのかどうか判らないのですけど、施設栽培の方は有機とは全然というか半分、特別栽培という形をとっていまして、肥料はほぼ有機肥料になっているような感じですね、ほぼ8割~9割 ぐらい。農薬のほうはまだ使っているような感じですね。作物はピーマンをやっています。水稲のほうで、「今日持って来い」と言われたので、お米は自分の家 で食べる分と少し分ける分のお米を、ほぼ有機で作っています。有機認証は取っていないのですけど、千葉県の認証を一応取っています。
何故就農したのかというところで、全然違う専門学校へ行っていたのですけれど、その時にお友達が自分で命を絶っちゃったっていう事がありまして。それを きっかけに大分考えるようになっちゃったんですけど、そこから何年かして就職もしたんですけど、「うん、農業をやろう」と思って、研修先を紹介してもらっ て農業をしていた、というのが経緯ですね。

●戎谷)今、消費者に伝えたいことを、一発かましてやってくださいよ。

●佐藤)多分、さっき金子さんも仰っていたのですが、消費者の方がもしかしたら知ってらっしゃると思うので、その人達が、どこが良いのだろうって選んで、そういう風になってくれたら良いなと思いました。

その人達に補助金が出るほうが、僕達 農家に出るよりも、もしかしたら良いのかなって、さっき話を聞いていて思いました。多分、僕達以上に調べていると思いますので。自分で食べるものを、是非是非、調べていってもらえたら嬉しいなと思います。

●戎谷)はい、ありがとうございます。じゃあ、この後も、パネラー同士、あるいは金子さんも交えて、質疑だとか、あるいは会場の人も交えて、最後に多少時間があればセッションをしたいと思いますので、その時にまた思っていることがあれば宜しくお願いいたします。

じゃあ続いて、北海道ですね。富樫さん。新規就農されて10年と伺っています。色んな経過あったようなので、是非お聞かせください。

●富樫 一仁)皆さん、こんにちは。北海道の瀬棚町から参りました、秀明自然農法ネットワークの富樫一仁です。1人だけ平均年齢をちょっと上げている感じですが、現在44歳です。私の住む瀬棚町は、海あり、川あり、とても豊かな自然環境に恵まれた所でして、自宅の目の前を馬場川という川が流れていまして、秋になると鮭が産卵に帰って来るんですね。そこの水を使って、田んぼを作っています。山間部には、広い大豆畑があります。大豆畑からは、なんと日本海が一望出来まして、天気の良い日には奥尻島もくっきりと見えるような、そういう場所です。

私が何故、農業に携わったか。農業に携わる前の自分は、実は札幌の小さな音楽事務所に所属していまして、全国をギンギンのロックをやりながらコンサートをして周っていました。東京にもね、若い頃、新宿とかそういう所で、ライブとかをさせて頂いたのが、すごく懐かしく。だから、今回のこういった祭典に参加できたこと、非常に興奮しております。

僕はギターをやっていたのですが、ギターを何故、鍬に持ち替えたかと言いますと、私は生後まもなく、喘息とアトピー性皮膚炎を患いました。特にアトピーのほうは酷くて、かれこれ20年、副腎皮質ホルモン剤、ステロイド軟膏とか言っていますけど、非常に強い薬を使っていました。成人になってから、副作用がどんどん酷くなり、本当に薬も効かないようになってきまして、それで音楽も挫折してしまったんですけど。その時は脱ステロイドということで、薬も殆ど使えなかったですね。全身、血膿でズルズルの状態が何年も続きましたね。もう、いつ死んでも良いのではないかなと言うくらいまで行きました。私、生活は本当にままならないような状態でした。そういう中で今<自然農法>という栽培をさせて頂いているのですが、<自然農法>との出会いがありまして、その<自然農法>の理念ですね。自然尊重・自然順応・自然の摂理に従って全ての生き物と調和を保った。そういう農業にすごく感銘を受けまして、自分の新たなる生きる道っていうんですかね、そこから一歩を踏み出したわけなんですけど。

平成13年に、瀬棚町の隣町になる今金町という所で新規就農をしました。そして縁がありまして、平成16年に今の瀬棚町に来まして現在に至りますが。水田が1.9ha、大豆が7ha、黒豆が1ha、菜の花が9haですね。トマトとか茄子とかベビーリーフといったハウス野菜も少し作らせて頂いています。全部で今20haさせて頂いているのですが、全て<自然農法>でやっています。販路も年々拡がっている関係もあって、今年有機JAS認証を取得させて頂きました。

僕の動きというのは、先程「食べるという事は生きるということだ」って仰っていましたが、まさに自分が食べられる物、自分の生きていけるもの、自分の命の糧になるもの、そういったものを作ろうと。僕は食べる物殆ど無かったですから。ちょっと外食なんかすると体中が痒くなったり、本当にそういった体質が災いして、こういう農業に携わることが出来たのですが、今では一服の薬にも依存することもなく、健康を保たせて頂いております。本当に食べることで、命を頂いて、救われて、こういった農業に関わってこれていることに、本当に感謝しています。

余談なのですが、昨年ですね、一体自分の体はどういう状態なのかと思いまして、札幌の某皮膚科で検査してもらいました。そうしますと、一般の大人のアレルギー数値というのがあるのですが、それが170240igという数字です、平均で。僕の場合はなんと今のこの状態で、24,000igという数字が出たんですね。お医者さんもびっくりして、「今まで色々な患者さんに出会ってきたけれど、ワースト3です。」って言われましたね。「横綱クラスです。」と。その時も待合室には、本当に見るに見兼ねるような、ひどい患者さんが沢山待っていした。先生が言うには、「待っている患者さん、酷いように見えるけれど、アレルギー数値で言ったらあなたの足元にも及びませんよ。」って言われたんですよ。食べ物だけで今の状態が保たれていることは、本当に奇跡だと仰ってくれて、食の重要性を改めて感じることが出来ました。今後も有機農業に携わりながら、自分のこういった体験を通して、色々伝えていきたいと思っております。ありがとうございました。

●戎谷)ありがとうございました。食べ物の大切さを感じさせてくれるお話でした。

続いて小野寺さん、お願い致します。

●小野寺 紀充)どうも、こんにちは。山形県庄内から来ました。最近では「おくりびと」だとか、藤澤周平の故郷ということで有名な所なのですが、そちらから来ました。庄内協同ファームという、餅加工・有機栽培・減農薬ということで、お米などを販売している組織の一員として来ております。

私ですね、実家の両親が有機農業を、母親が農家レストラン・農家民宿と幅広くやっている両親の倅ですが、実は就農してやっと1年経ったところです。それまで、何をしていたかというと、横浜の方でサラリーマンをやっていまして、化学分析ですね。もう全然、農業とは関係ないようなっていうのも変なんですけれど、製造業の研究所に属しておりました。なんで、農業を始めたかと言いますと、まあ、考え方が甘いというか、安易だったのかもしれないですけれども。まず山形が好きだった、地元が好きだったと。あとは今後10年、今の仕事を続けてどうなのかなと思った時に、まず会社を辞めて山形に帰ろうと。で、両親がそういう農業をやっていたので、まあ後継ぎにさせてもらおうかなみたいな、ちょっと甘かったんですが。そういったことで、去年帰りました。

自分は、農業は昔手伝いとかはしていたのですが、けれどもいかんせん地が無かったもので、要は、どういう農業をやりたいとか、そういうものが全くないままで。動機が半分不純だったというのもあったので、どういう農業をやりたいのか、今後どう生きたいのか、そこが正直悩みました。

そこでですね、一つやったというか、恵まれていたのかもしれないですけれど。色んなセミナーとか、要は人と繋がるというか、出会うという事をとりあえずやってみてですね。そこで、自分というものが、どう考えているかとか、人に喋ることで何かちょっとずつできてくるのかなと思って。とりあえず、それを今は特にやっていまして。全然農業には関係ない仙台の異業種交流会という人達との繋りとか、とりあえず色んな人達との繋がりを大切にしようと思って、現在に至ります。やはり、元々サービス業というか、人に喜んでもらう事が大好きでしたので。人と繋がることで、最近自分がちょっとずつできてきたかなと思っておりまして。自分の両親が有機農業、あとは農家レストランとか、人と繋がることを大切にしてきた両親だったので、自分が帰って来て、農業でやっと1年経って、お米とか、だだちゃ豆とか作っていたりするんですが。やはり人との繋がり、ふれあいが出来て、物を作って、実際に農家レストランで出したりとか、消費者に買って頂いたりした時に「ありがとう」、庄内弁でいうと「ありがとのう」と「おいしいけよう」って言ってもらえることが糧となっておりますし。有機農業というものに対しても、自分で作ったものを本当に喜んでもらえるということでは、一番良い方法なのかなと思い、両親のやってきたことを、改めて継いでいこうかなということで、今後も頑張っていこうかなと思っております。

軽く宣伝になるのですが、先程言ったとおり、山形の庄内平野という所で、日本海の新潟の真上くらいなんですけれど。映画などで有名になっておりますし、個人的にも食の都というか、癒しの都というか、勝手につけていますけど。やはり食を通じて、癒しを提供出来る空間でもあるのかなということで、農業と食を通じて地元を活性化していきたいなと。それで、農業の継続性というものも出来るのかなと思って、頑張っていこうかなと思ってやっております。

自分の話はこれで終わりですが、最後に2つ宣伝を。先程言った農家レストラン・農家民宿はインターネットで「菜ぁ」と入れて頂ければ検索ヒット、ホームページが出てきますので、宜しければ調べて頂ければと。何枚かパンフレットを持って来ていますので、ご興味のある方は後でお渡しします。
もう一つ、庄内協同ファームの方でもブースを出しておりまして、お店の宣伝なのですが。階段を下りた正面あたりで、お餅を試食と併せて販売しておりますので、こちらも減農薬・無化学肥料で作っている餅米でついているお餅です。そういう農家が集まって作った組織で、自分もその青年部として属しているんですけど、味も正直、美味しいのかなと。試食があるので、出来れば宜しくお願いします。ということで、以上とさせて頂きます。ありがとうございました。

●戎谷)はい、ありがとうございました。最後はしっかりPRもして頂きました。どんどん続けていきたいと思います。千葉さんですね。土佐で、高知県で研修を積まれて、現在、神奈川の愛川町で就農されています。じゃあ、康伸さん、宜しくお願いします。

●千葉 康伸)今日は、千葉と申します。今、33歳。高知県で2年間、有機農業の勉強をしてきまして、今は神奈川県愛川町という所で就農しています。今まで聞いた方よりは、まさに今年の4月から新規就農で愛川町に来たので、かなりフレッシュというか、そんな感じです。

で、何で愛川町っていうのは、広く農地を借りられる場所を探していたら愛川町を紹介されました。行ってみると広くて・土が良くて・環境も良い・すごく自然がある。私の理想どおりでしたので、愛川町を選びました。今、14反という畑を借りて、450種類、年間通じて有機栽培をしております。まだ、半年しか経っていないので、そんなに種類は出来ていないですけれど。
農家になる前は、実はすぐそこに会社があるのですが、8年間サラリーマンをしていました。
サラリーマンをする中で、何か自分が都会で、飼われているというか。毎日の通勤、その時間の無駄、いつのまにか年を取っていく、このまま定年を迎えて何もすることが無い、というような、そういう人生は嫌だなと思って。自分の楽しみは毎年妻と海外旅行に行くことで、アジアが好きで、良く東南アジアに行っていました。東南アジアで見る景色は、本当には見たことはないのですが、昔の日本のような景色が広がっていて。太陽が昇ったら農作業をして、それを見た時に、そんな生き方が一番幸せではないかと。それがきっかけです。
じゃあ、何をしたら良いのだろうと、そこで調べ始めて、東京に住んでいた時に食べていた野菜が、美味しくないなと。それだったら、良いもので美味しいものが出せれば、これは勝負になるのではないかというビジネスの観点と自分がどうやって生きていくのかとが一致した時に初めて、自分は農業で生きていけるのではないかと。そして自信を持って出すのならば、有機でやりたいと。で、有機農業を選びました。
その有機農業を選んで、学校に行くきっかけは、池袋のサンシャインで農業フェアというのを、年に45回くらいやっていまして、そこで高知県の「有機のがっこう 土佐自然塾」を見つけました。有機農家さんと県・NPOが共同してやっている学校というのは全国でそこだけと聞いたので、1年間お金を払って、自分は勉強しました。お金を払わないで勉強出来る場所もあるのですが、自分がやりたい、こういうことがしたいということを主張するのにお金を払っているという後ろ盾が必要だと思いました。しっかり1年間で研修・勉強して、そのあとすぐ自分で、物が育てられるような環境がそこにはありました。私が最も欲しかった手に職というものが手に入りました。すごく有意義な研修で、今でもそれのおかげで自分があると思っています。
農業を始めて一番難しいところは、皆さん結構、後継者の方がここにはいらっしゃるんですけど、新規就農者にはまずは家が見つからないこと。農地はどうにか見つかるようになっているのですが、家がなかなか。農家の家というのは、もしかしたら息子が帰ってくるかもしれないから空けておこうとか。なかなか貸してくれなくて、それが一番難しいことと、初期の投資の金額ですね。トラクター・機械・資材・色々なものが必要です。そういったハードルが、まずすごく高いです。それ以外にも、農業資材の購入場所、色々な選択肢を得るのに初めは時間が掛かって効率が悪く、今年はそうですね、あまり物が良く採れていません。ですが、どうにか生活できる程度は、収入としてあります。
それは色々な人に助けられて、販路を頂いて、今どうにか農業だけで生活できている状況です。
就農して、今一番良かったなと思っていることは、研修時代からそうですが、自分は生きているなと感じること。自分の足で生きているんだと。サラリーマンの時はどうしても人の力で生きているような、何で自分の仕事がお金になっているのか分からないような感覚があったんですけれども。今は自分で育てたものがお金に代わって、それを他人の人が食べた見返りでお金を頂いている。それで自分が生活していける。あと、もちろん自分で食べて。何かそういう生活をした時に、「あっ、生きているのだな」という実感を今すごく持っております。やはり自然の中で土の上に足を置いて手で作業して、機械で作業をしてやっていると、1日1日がとても有意義な気持ちです。
最後に。自分が今一番言いたいなと思うことは、就農したいとか、そう思っている方がいた時は、とにかくまず、自分が出来ることを行動して下さい。もちろん消費者の方も一緒ですが。自分は、ずっと適当に人生を歩んでおりました。中・高・大は親に与えられた私立のエスカレーターで。就職活動も大してしないで適当に会社に入って8年間。これまで自分で選択するものが何もなくて、自分で切り開くものも何もありませんでした。農業は初めて自分がやりたいと思ったもの。それを見つけた事、そして行動したこと。良かったなと、今は思っています。行動していくと、自分が何もしなくても周りが何かしてくれたり、知らないうちに仲間が沢山できたり、もうすごく良い事づくめで。とにかく行動する事が一番だと、自分は今思っているので、色々悩んだときは行動すること、若輩者ですけれど思います。以上です。

●戎谷)はい、ありがとうございます。行動すること、良いですね。

続いて、秋田ですね。花咲農園、武田泰斗さんお願いします。

●武田 泰斗)秋田県大潟村の花咲農園から来ました、武田泰斗です。宜しくお願いします。僕の親が、秋田県の八郎湖という所を干拓して出来た大潟村という所に入植致しまして。僕が二世として親の後継者として農業を継ぐことになりました。兄貴が東京で働くことになって、僕は地方で働いていたんですけど、それをきっかけに就農しました。

大潟村は専業農家が殆どの地域でして。みんな大規模な土地を稲作の作付けをしてやっているのですが、うちは15haの田んぼと牛を肉牛と繁殖・育成の一環経営で、80頭の牛を肥育しながら生計しています。牛プラス労力のかかる有機の稲作となると、結構、精神的にもきついものがあるのですが、やはり有機農業の除草対策とかですごく苦労しています。就農して10年目になりますが、色々親と対立したり、自分のやってみたいなとか思ったりしても、なかなか親が頑固なので、自分の思うようにやらしてくれないといったりするところが、結構ストレス溜まったりしています。
でも、そういった中で、村全体が、その、尊敬できる先輩がいるので、そういった人達と話し合いながら、不満だの、そういったものをぶちまけながらやっている、というのが現在のところです。毎日牛の餌やりをしなければならないこと、休みをもらうみたいなのができないのを、改善していけたならと思っています。有機で3.5haの田んぼを作付けしてやっています。3.5haなので、機械除草プラス人手が必要なところで人材確保という面ですごく苦労するところがあって。草取りを入れるタイミングとか、結構そういったものが農家同士で重なってしまうので、そういったところが上手くできたらなと思っています。
こっちに帰って来て就農してから、結構辞めたいなあ、みたいな感じもあったりして。モチベーションを持っていくというのが、続けてやっていくということ、なかなか難しいなと思ったりしています。これからですが、農業をやっていて良かったなって思えるように頑張っていきたいなと思います。ありがとうございました。

●戎谷)ありがとうございました。ちょっと補足しますと、大潟村というのは1枚が1町歩くらいある田んぼなんですよね。で、有機でやろうとすると一番大変なのが除草という草取りになるんですが、機械除草だとか、あるいは合鴨をやっている人もいるし、色々工夫されるのですけど。最後は人の手で草を取る訳なんですよね。で、大潟村ではパートのおばちゃん達を確保して、ずっと並んでこう向こうの先まで草を取って行くと、これの人材の確保がなかなか大変と言うことでありました。

それでは6人目いきます。今度は米の南魚沼からですね。新潟から来られた関徹さんです。お願いします。

●関 徹)こんにちは、新潟県南魚沼市から来ております関徹です。宜しくお願いします。私は、南魚沼市のフエキ農園という農業法人で、今年の4月から農業に携わっておりまして、まだ就農1年目です。元々南魚沼市の、旧塩沢町に実家がありまして。そこで古くから農家だったもので、まあ私自身も実家の田んぼをどうしようかというのを、20歳を過ぎた頃から悶々と考えておりまして。自分の1軒でやっていくよりも、例えば法人化するなど、大規模にやっていたほうが今後は良いのだろうなというのがありまして。その研修の意味も込めて、現在農業法人で勤めさせて頂いております。私の生まれ故郷の南魚沼という所は、ご存じの通り米どころでございまして。山に囲まれた小さな盆地に一面に田んぼが広がっているというのが、生まれ故郷の風景です。子供の頃から、その風景が好きでして、やはりその風景を見ると、田舎に帰ってきたんだなというのが実感していたのですけれども。ここ5年くらいですかね、耕作放棄地というのがうちの地方でも増えておりまして。所々に草が生えていたり、全く手が入っていない土地が見られるようになって来ておりまして。そういう土地を見ると、なんていうんでしょうか。変な言い方ですけど、死んだ人を見る様な、なんていうか居たたまれないような気持ちになりまして。それをどうにかしたいなというのが元々あって、農業の道に進もうと思いました。

今の会社に入ったのは、元々実家の苗を作ってもらったりしていて取引があって知っていたので、そこにお世話になろうかということで入ったので。今勤めておりますフエキ農園という所が、田んぼが14ha程で、約半分程でJAS有機のコシヒカリを作っております。
元々、僕が大した動機もなく入ったので、JAS有機をやろうというつもりも、それ程なかったので、JAS有機というのはどういうものなのかな、という感じでこの1年間を過ごしておりました。子供の頃、春や秋に少し家の手伝いをする程度で、殆ど農業に触れて来なかったので。JAS有機と言われても、大変だ、大変だと言いますけれど、正直、元々農業経験がない自分にとっては初めての農業なので、こんなものなのかなという感じでやっておりますけれど。それを祖父や父に話すと「そんな事をやっているのか」と言われるような大変な仕事らしいです。自分の希望としましては、耕作放棄地をなるべく無くして、田んぼを残していきたいというのが自分の想いですので、手間が掛かるJAS有機をどういった形で、もっと手間の掛からないようにしていけるかというのが、専らの関心であります。短いですけれど、この程度で失礼致します。

●戎谷)はい、ありがとうございます。最後に、7人目になりますが、一応 今日はパネラー7人の方にお願いして、そのうち3名の方が新規に研修経験を持ちながら今の所で新規就農された方、4名の方が後継者という事になります。その中でも、関さんは近くに実家があり農家の出なのに農業法人で研修中という、そういうポジションでお話をして頂きました。

では最後に、九州・島原から長崎有機農業研究会の松尾康憲さんです。お願いします。

●松尾 康憲)皆さん、こんにちは。長崎から来ました、長崎有機農業研究会の松尾と申します。自分が有機農業をしようと思ったきっかけとしては、親父が農業をやっていたからやった、というのが普通ですが。親父達が有機を始めた時には、有機栽培というのは周りの農家の人から見ると、やっぱり変な事をやっているとかいう変な目で、そんな農業をやっていたら、全然採れなくてそんな経営なんて成り立つわけない、なんて言われていた時代だったのですが。そんな高度成長の時で、農薬・肥料・化学肥料など投入されていた時に、親父がそんな農業に、これから先の未来の農業に疑問を持って、25人のメンバーで始め、作られた中で、自分が入って、長崎有機農業研究会というのを発足して。その長有研というのが、まず生協さんとの交流で、こういう広場で農産物を売るわけですが。そういう、皆んなで広場で売って、消費者との交流を深めている。親父達の取り組みに参加しているうちに、自分も参加したいなという、皆さんとの交流を深めた農業をしたいと思って、農業を始めました。

実際、農業を21歳から始めて、今年で29歳になり、9年目になりますが、先程もあったように、自分のしたいような事はなかなか出来ず、親父と対立しながら今やっておりますが。親父が今までやってきたやり方と、自分がこうやりたいって時になると、親父のやりたいほうで何時も言われるので、親父の経験と自分の経験の差なのでしょうけど。自分だったらこうやったら出来ると思ってやるのですが、親父はそんなんだったらやれないという感じで、よく喧嘩になります。

(ここで、松尾さんが言葉につまり、司会者が引き取る)

●戎谷)思い出したら、もう1回やって頂きましょう。松尾さんが、親父さんと対立するようになったということが聞けただけでも良かったです。

あと30分くらいしかないですが、金子さんにももう一度ご登壇頂いて。会場の皆さんからも、この方に是非このことを聞きたいとかですね、後半に会場からの質問も受け付けますので、是非挙手してください。
金子さんの最初の基調講演の中に、これからの起爆剤は非農家にあるのではないかという風なコメントがありましたけれども。彼らも、実家を継いだということではあっても、実際にサラリーマン経験があり、都市で暮らしながら田舎を見つめ直して帰った方々という意味ではですね。本当に違った目線でというか、郷土・郷里を捉え直して農業に戻っていったというか、新しい気持ちで就農された方々だと思います。色んな立場の違いがありますが、なかなか個性的な7人の方々でした。まずですね、せっかくですので7人のパネラーの方で、先達である金子さんに、このアドバイスが欲しいとか、このことを聞いてみたいというのがあったら、お一人かお二人かお受けしますが、如何ですか。(挙手がないので、話題を金子さんに)
金子さん、今日、7人の若者達の発言を聞かれていて、感じたことなどアドバイスがありましたら。

●金子)それぞれ個性的で、自信を持って覚悟を決めておりますので、あとはコツコツ積み重ねるだけですよね。村はちゃんと良いものができると評価しますので。失敗すると10倍くらい大きく宣伝されてしまいますが。本当にきちっと良いお米・良い野菜ができれば素直に評価して頂けますので、言葉や文章があとで良いんだと思います。

●加藤 登紀子)ちょっと私も参加させてください。

●戎谷)ありがとうございます。

●加藤)さっき金子さんがお話になっていた、「この時代に有機で頑張るためには提携関係が必要だ。」、「どこかが自分達の作ったものを買い取ってくれる。そういうルートを自分で開いていかなければならない。」「一般のマーケットは、一切頼りにならない」と。そういう意味で皆さんはどういう風にしてらっしゃるのかなと。興味深かったのですが、自分達の作ったものを、皆さん新規就農してそんなに長く時間も経ってない方も、かなり大きな規模でなさっているというのが私の素直な驚きでしたが、それは何かありますか。ルートを開いていかれた仕事の経験とか、現状とか。

●戎谷)千葉さんかな。すでに、庄内協同ファームとか長崎有機農業研究会とかは、生協さんや大地を守る会とかも提携をされている経過がありますけれど。独自に開拓したとすれば千葉さんと富樫さんかな。

●千葉)確かに、1年目で作物が潤沢にあるという状態ではないですけれど、一応、出来たものは、ほぼ無駄なく出荷させて頂いております。出荷先の販路の開拓は、基本的には自分が教わった山下さんが曰く「自分から動くな」というのが一番に有って。

●加藤)「自分から動くな」

●千葉)という風に言われていて。とにかくまずは、先程金子さんが仰っていたように、「良いものを作れ」と。「そのあとに販路は考えろ」と。「先に販路を考えて自分を小さくしていくよりは、まずは畑に出て、土と格闘して、自分に厳しくやっていくことが、まずは大切だ」という風に言われて。正直販路はゼロでした。今年はそれぞれの畑の土がどれくらいの地力があるのか把握したかったので全く肥料も入れないで作付けをしました。実際、全然使用していなかった畑は土地が痩せていて、ものができなかったりしました。その中でよく出来て、味が良かったものについては出荷をさせて頂きました。その販路は、小田原に鈴廣という蒲鉾屋さんです。鈴廣さんは「自分の所でリサイクルという形で、自分の所で出たアラやビールを作ったビール粕、キノコの菌などを使って堆肥を作っている」のです。私は知り合いの紹介で副社長さんを紹介して頂き、魚肥というのはどんなものか見せてください」というお話をしました。魚肥は結構速効性があって良い肥料です。無施肥で作付けする自分にとっては状況によって追肥が必要なので即効性のある魚肥は欲しなと思っていました。すると実は鈴廣さんでは、「その堆肥を作って、逆に自分の所に作った野菜が帰ってくるという試みをしたいから、是非出来たらうちに出してください」という形で、逆に自分が営業をもらいました。それから7月から毎週出荷しております。

●加藤)素晴らしいですね。

●千葉)そんな巡り合せとか、人から声をかけられて「売って欲しい」とか。地主さんがゴルフ場の支配人をされていて。「自分のゴルフ場のレストランで野菜を使いたいから一回持って来てくれ」とか、「売店に置きたい」とか、「値段は君が決めて良いからマージンだけは貰うよ」って。そういう、周りに自分は支えられております。今の自分はとにかく良いものをたくさん作っていく。先程金子さんが仰ったように、コツコツと良いものを作っていけば、周りが評価してくれるというのは、まさに自分が実感していることです。それと私はとても運が良いと思います。自分は特別なことは何もしていないので。そんな状況です。やって来たというか、見ている方とかが言ってくれたとか、毎日休みなしに自分はやるので、やると決めたらやる、死にものぐるいで、こんな年なので、これだけ動けるのは。

●加藤)こんな年って。

●千葉)いやいや御免なさい。がむしゃらに働けるのは、10年しかないと思っています。それから先は、形を変えて40歳になったら40歳の農業を、50歳になったら50歳の農業を、と先を見据えて、今農業をやりたいと。ただ、今はとにかく、「がむしゃらにやらないと見えるものも見えないのではないか」という気持ちが強いです。そういう教えをすごく言われていて、「とにかく走れ」と。「走っていかないと何も見えないから」と。そういう風に山下さんに言われていて、山下さんって自分が研修をした所の塾長さんですけれども。

●加藤)山下一穂さん?

●千葉)そう、山下一穂さんです。

●加藤)私も行きました。

●千葉)で、とにかく今は走って、周りから評価をしてもらった時にちょこちょこと、ただ、どんどん声は頂いて、見ている人は見ているのかなという風に思ってやっています。

●加藤)その意味で、先程どなたでしたっけ。農業を継いだけれど、自分はむしろ異業種の人達との交流を深めるということが大事と思うという。それも今仰ったように、異業種の人と提携するということが循環、本当の循環に繋がるという意味ではありましたよね。

●小野寺)そうですね。今は仙台の異業種の方々とお話をさせて頂く機会が、結構多くて。やはり農業への関心は高くて、ただ実際のところは当然知らなくて、イメージだけだったりしますけれど。実は、来週10月に仙台の方々がうちの庄内の方に来て、実際に農業というものの現場を見て下さったり、そこで思ったこと、感情とかをストレートにぶつけてくれますので。また違った観点・販路にしても、農業のスタイルにとか、色々な情報・勉強になるところが非常にあってですね。あとは同業者の方々とも間接的につながれたりとか、そういうのが販路しかり、自分の勉強しかり、大切なのかと思って、考えておりますね。

●加藤)先程金子さんが仰った。もしかしたら、これからの農業の可能性を開くのは、「今まで、農業をやってきたんだ、俺たちがやってきたんぜ。」という人よりも、ちょっと外側から違う観点を持つことで開かれていくのかもしれないなと思ったのですが。お父さんと対立すると仰ったようにあなたの場合、経験豊富な父親に太刀打ちできないけれど、自分の方が、考えついたことは正しいのではないかなと思うようなポイントって何かありますか。俺達だったらこうするのに、っていう新しい若者ならではの観点で父親を説得していく必要もあるのではないかと。

●松尾)今、だいたい情報化社会になってきている中で親父達は、技術力はあるかもしれないけれど、やはりそういうところは若者のパワーで情報を使った農業をやっていったら良いのではないかなという感じはするのですが。

●加藤)すごく興味深いことだと思いますね。その間に理解を深めていく。それはやっぱり喧嘩をしながら解決してくのでしょうね、きっとね。大事ですものね、両方大事なものを持っているわけですからね。上の世代の技術力、自分でしこしこやって来たという人達の誇り、それに対して新しい情報があったから良かったね、という解決が1つ生まれた時に認めていくんでしょうね、親父さん達はきっとね。その意味で、この新しさと。私が今日、発言する場ではないのですが、私達の鴨川にも新規就農をね、自給型の生活を求めて入ってくる人達がいっぱいいます。だけどやっぱり、在来型の農業をやっている人というのは、殆ど有機農業をしていないんです。そんなの、さっき仰った「出来るわけがないだろう。」、「そんなので食っていけるわけがないだろう。」って。私、向こうの方で、自然王国のブースも出していますけれど、私の息子達も、まあ苛められつつ。けれども、結果的には何年か経つうちにね、やはり有機農業をやっていると大変で、いつも、いつも畑にいて働いているんですね。周りの農家さん達は、老齢化しているというのもあって、たまにしか出ないんですよ、田んぼや畑に。だけど、「あんたのところは、朝から晩まで畑に行っているね。こんなに良く働く農家は見たことがない。」って。こういう風に周りの人達が言うようになって。これはすごく、言いしれず刺激をしているのではないかなって。有機農家は、本当に朝から晩まで畑に出ていなければならないという、それを、だけど若いから私達の所に入って来る人達は頑張っていますし、情熱を燃やしていますし、それを見るにつけ、周りの老齢化して、もう汗水流して働いて、そういう時代を超えてきたというか農業をだんだん機械に任せるようになったりしてきたわけなんですが、やはり刺激になっているなという風に思うんですね。

だけど、やっぱりこの壁は大きくて。今の農家の人達はサイクルが、1つ前のサイクルを生きているんですよね。近代化して行くということが良いという観念の中にまだいますから。それを全くもう1つ新しいサイクルに入った若者は、何を求めているのかっていうことが、やはり理解しあえるというのは、なかなか時間が掛かると思います。どうでしょう、その辺ね。

●金子)前のサイクルって加藤さんが言いましたけど、工業が与えた化学肥料とか、農薬・機械化というのでやりますと、知恵を働かす部分が無くなってしまいます。昔の農家は家の中に牛や馬を飼って、家族同様に大事に飼育しながら、厩肥・堆厩肥を作る、あるいは田んぼや畑をそれで耕すという知恵を働かす場面があったのですが、化学肥料・農薬等々に頼ると知恵を働かす場面がなくなってしまう。で、この人達は朝から晩まで働いているかもしれないけれど、自分で段取りを立てて辛そうに見えるけれど、結構楽しくやっているというのが段々と村の中でも分かって。もうちょっと更に楽しそうにやって、皆を呼んでワイワイとやっていくと、村を変えるきっかけになっていくんだなと思っておりますけど。

実はうちの先輩が変わったきっかけは、「何しろ楽しそうにやっているじゃないか、で結構高く売っているよ。」ということが、相当 決め手になってましたですね。

●戎谷)金子さん、加藤登紀子さん、ありがとうございました。

お二人のご指摘も受けてですね、北海道に入植した富樫さん。販路のこと、実際20町歩でしたっけ。北海道でやって周りの関係とか、その辺で少しコメントを頂けますでしょうか。

●富樫)この裏にテーマが書いてあると思うのですが、「地域に広がる有機農業」。販路にしてもそうですし、このオーガニック的な発想というのは、すごくこれからの生き方にプラスになっていくと思うのですよね。ですから、地域づくりであり、有機農業というのは人づくりだと僕は思います。それで、僕らのモチベーションとかポテンシャルを上げていく1つの要因としては、地域の力ですね。仲間づくりというのは、すごく大切なことだと思います。

有機農業の技術は、そこの地域毎に気候風土が違いますので、そこで身につけていくしかないです。それで仲間がいることで、そういった技術も共有できるし。さらに、有機農業の農産物を求める消費者の方というのは、非常に共通した思いがあって、どんどん繋がっていきます。僕のところの場合は、十数年前から、町で有機農業を推進していまして、新規の有機農業者が非常に多いですね。地場産業の新しい方向性の1つにもなっています。
その中で、ここ2年くらいでしょうか、「山の会」というのを設立しまして。有機農家で僕は年長ですが、20代~30代のメンバーで毎月1回勉強会を開きながら、背伸びをすることなく、自分達に何か、地域に何が出来るかを考えながら、模索しながら、最近では自治体も協力してくれて、マルシェとか相談会とか、色々そういった催しにも仲間で参加できるようになってきました。
そうすると、販路が自然と拡がってきまして。また、生産者もすごくバラエティに富んでいまして、僕のところは割と和のテイストがあって、加工品をメインに、お味噌とか菜種油・お酢・きなこ・豆腐・納豆など、そんなものを作って。中には、自然の育て方の黒豚とか、本当に色々な方がいて、それぞれがコアな販路を持っています。それが1つになった時に販路も共有出来るようになって来まして。これが地域の中だけではなくて、地域から放射線状に広がっていまして、都市圏のレストラン、そういった所にも提携して食材を使って頂けるようになりまして。
今年の4月ですかね、これも人と人の繋がりの中からですが、うちでは菜の花を9ha作って、菜種油を製造して販売しているのですが、レストランのシェフからシェフへ、口コミでどんどん広がっていきまして。それがたまたま出張でフランスに行ったシェフが、フランスの星付きレストランのシェフにそれを紹介したら、是非これを使いたいということで。4月からですね、フランスでの販売も始まりまして、好評を頂いています。
お味噌もやっていますが、たまたまうちのお客様の一人が台湾のラーメン屋さんの親戚でして、お味噌を台湾に送ったところ、是非これを使いたいということで、つい最近ですが、台湾にお味噌を輸出しまして。向こうで健康ラーメンとして売り出すということを聞かせて頂いています。
ですから、身近の一時一時というか、一期一会という言葉がありますが、日々のそういった出会いの中から思いがけない、そういった所まで販路が拡がったり実際にしているので、地域に広がる有機農業というのは、本当にその通りだなと実感しております。

●戎谷)はい、ありがとうございました。時間も迫って来ておりますので、会場から是非、この方に聞いてみたいと、或いは感想でも結構です。どなたかご質問・ご意見のある方はいますでしょうか。挙手をして頂けますと、マイクが走りますので。では、そこの黒いTシャツの方。

●質問者)とても楽しい話を聞かせて頂きました。長崎の松尾さんにお聞きしたいのですが、今後、お父さんと渡り合っていくための作戦があればお聞きしてみたいのですが。

●松尾)作戦というか、ゆくゆくは、うちの親父も還暦を迎えて、もう62歳になるんですが、やはり自分が如何に行動で示していくしかないかなと思っているのですが。まだまだ親父も元気なので、いつまでするか分からないですが、早く親父から実権を取れるように、日々努力をしていきたいと思います。

●戎谷)僕、お父さんを良く知っているんですけど。多分ですね、まあ、もうちょっとだなという風に見ているのだと思います。結論は、さっきから出ています。良いもの・良い結果を出してきたら、多分口を挟まないようになると思います。だよね。

●松尾)こんな感じで、ちょっと上がって、喋れなくなったりしますが、実際、自分が作っているものは、皆さんに認めてもらえるようなものは作っていると思うので。とりあえず今回は、喋るのは下手ですけれど、来年に向けてリベンジをしたいなと思いますので、来年またここに来ますので、皆さん宜しくお願いします。

●戎谷)来年も呼んで下さいとのことです。宜しいでしょうか。長有研の先輩が、あそこで冷や汗をかいていますけど。他に如何でしょう。この機会に、こういう事を聞いてみたいという方がいらっしゃったらお受けしますが、宜しいでしょうか。パネラーの方で、これだけは最後にもう一言言いたいという方、ありますか。宜しいですか。では、最後に加藤登紀子さんにまとめをして頂けたらと思います。この若者達が、これから地域を担い、しかも土と格闘しながらですね、先ほど暗い数字を言ってしまいましたが、彼らが地域を担って広げていって、未来を開拓していってくれる人達です。今日は、慣れない場に呼んでしまった方もいましたけれど、ありがとうございました。最後に、加藤登紀子さんにまとめをお願いしたいと思います。

●加藤)ちょっと極端ですが、例えば今、生物多様性の会議も開かれて、本当に昔は100年に1つぐらいしか絶滅する種は無かったのに、今はもう何万という種が1年に無くなっていってしまうという時代なのですが、もしかすると、怖いですけれど、先程の数字から言うと、農民というものは絶危惧種かなっていうくらいに減っているんですね、本当に。ふと考えると、その不安というのは、慄然とするというか。日本なんて、こんなに幸せな自然に恵まれた、気候に恵まれた、ふくよかな潤いのある土に恵まれた、そういう国にいながら、その農業を捨ててきた、漁業を捨ててきたというそのことに慄然とするわけです。

それで、こんな風にそれを感じた人達が、私達の周りでは劇的に増えていると感じられるんです。でも、劇的に増えていると感じられていても、減っていくスピードのほうが圧倒的。今のところ多いのだということは確かですけれど。それだけに増えていく人達1人ずつの価値というものは、佐渡のトキに値するくらいの注目度を今、浴びているのだと思います。本当に頑張っていかなければならない。
希望という言葉を、昔、私の夫の藤本は言っていたことがあって。私はその時に「ねえ、希望という字って、じっくり考えると淋しくない?望みが少ないって書くのよって。望みが少ないというような、そんな淋しい字を自分の政党の名前にしているって、どうなのかしら。」なんて言ったことがあったのですが。考えてみると、まさに希望なのだなって。今、思うのですが、というのは、僅かな望みがはっきり見えている。ここしかないっていう光が見えている。この見えたっていうことが今、大事なのではないか。答えはここにしか無いのではないか、ということが見えて来ているような気がするんですね。それは、世の中の大きなうねりの中では、かき消えそうな灯火ですけれども、それを何かこうはっきりと自覚出来た人達が歩き始めた。特に若い人達の中にそれが始まったという事は、とても素晴らしいことで。そのような意味で私達は、新規就農する人達、社会の中でこう色々なネットワークで応援していけたら良いなという風に心から思い、さっき金子さんが仰った「喜びをもって労働しているということは、なんと素晴らしいことか」その事がきっと言い知れず、世の中に大きな影響を与えていくのではないかという事を改めて確認出来たような気がします。本当にありがとうございました。頑張りましょう。

●戎谷)はい、ありがとうございました。素晴らしいまとめをして頂いたので、私から補足することはございません。最後に、全国各地、北海道から長崎までですね、駆けつけて頂いた未来を担う彼らに拍手をお願いできますか。はい、ありがとうございました。今日は、楽しい色々なブースが出ています。

●加藤)今日、午後1時からは、持続農業推進青年農業者会議なんていうのを、何年でしたか、今から10年くらい前に藤本と一緒にやった頃に、リーダーシップを取ってくれていた何人かの人が登場します。あっちのステージに。

●戎谷)ビッグステージですね。

●加藤)ビッグステージの方で農家トーク。いつも、ちゃんとできていないのですが、是非。向こうに音楽を目的に来ているかもしれない若い人々にも聞いて欲しいということで、あっちでやります。皆さん、向こうの農家トークにも是非参加して下さい。客席の中でも良いので。折角ここでお話できた素晴らしいことが向こうにも少し交われると良いし、お話を聞いて下さったり質問して下さったりすると良いと思いますので、皆さんも是非午後1時からのそちらのトークのほうにも参加して頂きたいと思うし、金子さんも宜しくお願いします。

●戎谷)ありがとうございました。今日、皆さん忙しくなるね。2時半には彼ら、ここに来ますので。有機農業ナンデモ相談会というものがあります。聞き損じたというか、「このことを聞きたいわ」というのが多分あるんだろうと思います。彼ら、もう一度戻って来ますので。2時半にはここでまた、「有機農業を本当にやりたい」、「就農したい」、「どんな風に具体的に幾ら資金を持っていたんですか」とか、聞かれたいと思いますので。

●加藤)その時は、多分1時から2時に参加される方もこちらに来られると思いますので、その時に一緒に交流できると思います。

●戎谷)ありがとうございました。あとは、どうぞ今日1日ですね、夕方まで土と平和の祭典をお楽しみ下さい。ありがとうございました。

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