草取り-2 6月15・16日
text&photo by kco_sawada 澤田佳子
田植から持ち帰った稲も、我が家のミニ田んぼですくすく。さてさて棚田はどうだろう?

イネミズゾウムシの大量発生から二週間。棚田メンバー達はそれぞれに田んぼに思いを馳せていた。元気に育ってるかなあ〜。イネゾウはどうなったかな? あめんぼは帰ってきたかな? いつの間にか芽生える親心。離れていても我が子はかわいい。
そしていよいよ棚田と再会。そこには前回よりも丈を伸ばした稲が元気に列をなしていた。葉の色も少し濃くなり、株自体も少しではあるが太くなっているよう。「大きくなってるね〜〜!」と元気な稲の姿にひと安心。イネゾウの姿もほとんどなくなり、稲も力を持ち直したみたい。よかった。よかった。


稲は元気を取り戻した
それでは詳しい生育状況の報告を。前回廃食油をまいた一段目の田んぼは背丈も伸びて株も心持ち大きくなっているよう。しかし、谷の下側の部分に葉が黄色くなった株が目立つ。宮田さんと博正さんいわく、前回ぬかをまかなかったための栄養不足ではないかとのこと。二段目の田んぼは前回に引き続き一番生育状況がよく、青々としている。一番心配されていた三段目の田んぼは、やはり一番生成長が遅い。他の二枚と比べると丈が少し短く、どこかどっしりとした雰囲気に欠けている。 「がんばれー」と 他の2倍は応援したくなる。

1段目の田んぼには葉が黄色くなった稲も。

半分は青々と元気がよく、半分は黄色が混じる1段目

変わらず元気な2段目

前回より元気になった3段目
棚田はイネゾウだけでなく、全体的に虫が少なくなっていた。それと、二段目と3段目では死んでいるオタマジャクシもぽつぽつといた。原因ははっきりとはわからないが、藻がたくさん発生していて、稲の株に集まっていたり、水面に藻の膜が出来ていたりするのも関係しているかもしれないとのこと。天水頼みで水の流れが生まれにくいことが、藻が発生しやすい原因のようだ。

2段目と3段目にはオタマジャクシが浮いているところも。

藻が集まっているところがちらほら
そんなわけで、今回の棚田のお手入れは草取り、藻取り、糠まきの三つになった。
これは稲? それとも稗? 草にも生きる知恵がある
今年は雨が多く、田んぼの中の貯水量が多いため、雑草は生えにくい好条件。まだ目に見える程大きくなっているものは少ないが、水中にはしっかり芽を出している。前回同様、手を広げて指を曲げ、泥を掻くようにして草取りを開始。そして中には大きく育った田の草の王者がいる。それはイヌビエ(犬稗)。食べられる稗なら嬉しいのだが稲の間にニョキニョキ顔を出すのは食べられないイヌビエ。成長すると稲より丈が大きくなり、稲より先に結実して種を落とす、田んぼの常連。同じイネ科の植物なので、成長過程は稲とそっくりで 見分けがつかない。
なので、稲は列をなして植えられるのてあった。田植えがまっすぐされていると、 列から飛び出しているものを抜けばいいので、簡単に雑草を見分けることができる。田植の時にまっすぐ植えるのは、収穫をしやすくする他にもこんな理由があったのだ。

稗 稲とそっくり。

でも間隔がおかしいなと思ったら稗の可能性大!

横に広く、そして平べったいのが特徴。
今日は鴨川自然王国で開催中のあわのわマーケットが開催される日。棚田メンバーは一段目の草取りと糠まきで1時間程作業した後、あわのわマーケットに合流した。
繋がるエコネットワーク あわのわマーケット
鴨川とお隣の三芳村の移住者達が中心になって立ち上げた地域通貨で、移住者達の間で助け合いと情報伝達のネットワークをつくっている。現在会員は約150名。館山市を含む南房総地域を中心に、半農半X的生活やアートワーク、サーフィンなど、自身の才能を活かしながら暮らしを楽しむ 人達を結びつけている。そんな彼らが、身近なところでイベントを開いてさらに交流を深めたいと始めたのがあわのわマーケット。開場が決まらず長く中断していたが、ついにこの日、約1年半ぶりに復活を遂げた。
朝から車がひっきりなしに訪れていた会場は、お昼頃には大きな賑わいを見せていた。オーガニック、手づくりものがずらりと並ぶマーケットは、自由であたたかな雰囲気に包まれていて、樹々の緑に彩られ、商品も笑顔も一段と映えを増している。 その中にYaeさんの紹介で今回のゲスト、正木高志さんが姿を表した。

60年代にインドを始め世界を旅した正木さん。旅の中で彼は、ものを持つことの束縛、お金の縛り目、環境への負荷など現代社会の多くの矛盾に気づく。そして、家族と一緒にインドだけでなくヨーロッパなどのコミューンも旅し、帰国後に故郷の熊本で農ある暮らしを開始。無農薬のお茶の農園、アンナプルナ農園を開いたという経験を持つ人。また、アメリカの大学で「環境倫理学」を教えるなど、自然や神話など古来の文化と人の営みを結びつけた独自の世界観を持っている。また、「私は病んでいる」という桜の声を聞いたことから植樹活動を始め、 植樹ボランティア「森の声」を立ち上げると共に、 自然のメッセージを伝えるトークライブを各地で開催。現在、農園の主たる業務は娘さんに譲り、トークライブや憲法9条を選びなおす9aidの提唱などの活動を続けている。
そんな正木さんを迎えるにあたってYaeさんは藤本敏夫記念館の庭に建つ一本の木の下をステージに選んだ。そして、
「以前、正木さんの娘さんのラビさんとこんなことを話していたんですよ。私たち似てるね。父の残してくれたものを継いでいくんだねって。私は父が亡くなってから鴨川に来ましたが、それから結婚をし、子どもを産み、土のある生活を始めてとても幸せになりました。 きっと父も、 こんなにたくさんの人がここに来てくれている様子を見て喜んでいると思います」
Yaeさんはどこか遠くを見つめるような表情を見せ、それからまた会場へ向かって笑いかけた。正木さんからは
「僕たちの体は全て食べ物でできているよね。食べ物は自然環境からできている。だから僕たちの体は環境で出来ているんだよ。そして、人間は環境に包まれて生きている。自然は人間に属するものと思う人がいるかもしれないけど、そうじゃない。自然の前で人間は、小さな赤ん坊のようなものだよ。今の文明はお母さんをいじめていじめてここまで来てしまったけど、本当はお母さんなしでは生きられないんだ」
「人間と自然との間には深い川が流れている。しかし、ひとたび自然の懐に抱かれると、自然の側から物事を見るようになるんだよ。僕はそれをグラウディングと呼んでいる。そしてこれからはそういう若い人達が増えていくと思うよ。これは60年代のうねりとよく似ているね」
と自然との一体感を感じ、自然へと着地するグラウディングのメッセージ。
会場には正木さんの歌声とジャンベ、あわマネー会員の沢野さんのギター、そしてYaeさんの透き通る歌声が、さわやかな初夏の風に乗って広がっていった。

動き出した時代の波、新たな流れは、今、ここから始まっている
正木さんが、加藤登紀子さんが、そして故・藤本敏夫さんが青春時代を過ごした60〜70年代、近代化という名の下に、社会は大きく変わろうとし ていた。その時、一人は旅の中に真実と精神性を求め、一人は歌で社会にメーッセージを伝え、一人は学生運動で大きな社会と闘った後、農的暮らしへの回帰を目指した。そして時代の潮流は、彼らの子ども達の世代、つまり私たちへと移り始めている。
正木さんは、昨年種播き大作戦と「半農半X」の提唱者、塩見直紀さんがつくった本『半農半Xの種を播く』の中で、私たちにこんなメッセージを伝えてくれている。
—人間は、何千年も、何万年も、就職しないで生きてきた。わずか百年前でさえ、多くの人々は就職していなかった。そうだ! 自給自足すればいい! 大発見だった。—
—最近は自然との関わりだけではなく、社会との関係を特に大切に思うようになってきた。暮らしの半分くらいは社会的である方がいい。100%の自給を目指すと、人間は独りよがりになってしまうとガンジーも言っている。自立と共に共生が必要だ。自由に生きて働くために、50%の自給が必要なのだ。—
今、世界は変わろうとしている。それはイデオロギーでもなく、哲学でもなく、小さな暮らしから。怒りではなく、愛と調和から。誰か強烈な一人の指導者によってではなく、ひとりひとりから。トークライブの後の正木さんと、そんな最近の空気について話していた。そして、彼はこう言った。
「次にくるウェーブ(変化の波)は、60年代のウェーブよりも大きいよ!」
私たちが生きているのは、そんな時代なのだ。
そして、種まき大作戦と棚田チャレンジが向かう方向も、そこであることはいうまでもない。
棚田の山に日は落ちて、たき火のそばで始まった夜の宴は、棚田メンバーに、あわのわ出展者の人達、正木さん、Yaeさんも加わり、30人程のパーティーに。夜の気配とたき火の灯りが、参加者をじっくりと腰を据えた語りへと誘う。途中、宮田さんの自宅近くに蛍を見に行くミニツアーも飛び出し、うっとりとするような田舎のよさを楽しむ夜になった。