音楽で彩る日本最大の環境配慮型農業&農的暮らしのマルシェ

種まきビックステージ

農家トーク 13:00頃~

「農業って楽しい?」そんな素直な疑問からはじまる農家トーク。これからの農業の未来って本当に明るいの?それともどうなの?日本の明日の食べ物のことから、これから農家のありかたや、社会、暮らしを考えます。

13:00頃~

伊藤幸蔵

伊藤幸蔵(米沢郷牧場/山形)

伊藤幸蔵(米沢郷グループ・山形県高畠町) 土を汚さない、壊さないまだ世界には飢餓が日常の国があります。人が本当に苦しいのは、食べられないとき、そして、自分が拠って立つところがないとき。土は、私たちが帰る場所です。この場所は、次の世代に渡すために、汚してはいけないし、壊していけない。そこに、有機農業の大きな価値のひとつがあります。大学卒業後に、私は迷わず農家を継ぎ有機農業をはじめたわけですが、私たちの仲間は、選択して農家を継いでいます。以前のように、継がなければならないから継いできたのとは若干違ってきています。私たち農村地域の取り組みを、都市に住む人たちにもっと理解してもらい、私たちも都会の消費者のことをもっと深く知っていくことが必要だと思っています。対立でも、寄りかかりでも、取引でもない、そういうお互いの理解が、都市と農村の距離を縮め、食を取り巻く問題を平和に解決していくのではないでしょうか。 伊藤幸蔵(いとう こうぞう) 1967年生まれ。1990年農林水産省 農業者大学校卒業。山形県東置賜郡(高畠町)で有機農法と畜産の複合経営を行う「米沢郷牧場グループ」の代表。1995年には、農業生産法人・有限会社「ファーマーズクラブ赤とんぼ」を立ち上げる。自家で営む農業生産法人「エコファーム匠」では、田んぼを11ha、畑を3.5ha、果樹園を50a作り、主に田んぼの耕作に従事する。

米沢郷牧場グループのHP ファーマーズクラブ赤とんぼのHP

宇都宮俊文(無茶々園/愛媛県)

宇都宮俊文(無茶々園・愛媛県)

宇都宮俊文(無茶々園・愛媛県西予市)

○無茶々園 大地とともに心を耕せ! 無茶々園は環境破壊を伴わず健康で安全な食べ物の生産 を通してエコロジカルな町づくりを目指しております。 1974年 3人の若者が伊予柑の無農薬栽培を開始、この園地に現在グループの 名前となった「無茶々園」と名付ける。 1978年 NHK等メディアに取り上げられ販路が拡大 1980年 LPG基地誘致反対運動参加 1993年 株式会社地域法人無茶々園設立 2000年 共同防除施設(スプリンクラー)での農薬散布を中止 2004年 台風による過去最悪の被害(温州みかんピーク時の1/5の収穫量に)これを期に改植に着手 2010年 収穫量も徐々に回復、売上も過去最高になる

○宇都宮俊文プロフィール 1963.12.21(46歳)。1982年就農(19歳)1985年に無茶々園に入会。1998年頃に代表理事。現在に至る。

富谷亜喜博(農事組合法人さんぶ野菜ネットワーク/千葉)

富谷亜喜博(農事組合法人さんぶ野菜ネットワーク/千葉)

富谷亜喜博(さんぶ野菜ネットワーク・千葉県山武市) 1959年生まれ 千葉県山武市の農事組合法人「さんぶ野菜ネットワーク」代表千葉県農業大学校を卒業後に家業の農業を継ぐ。1987年、有機農家の見学をきっかけにJA山武郡市有機部会に参加し、2005年に同ネットワークを設立。現在、半径3kmの地域に52名の組合員がいる。千葉県農業士 耕作面積は畑2.3ha水田45a

菅野芳秀(レインボープラン/山形県長井市)

菅野芳秀(レインボープラン/山形県長井市)

菅野芳秀(レインボープラン・山形県長井市) 農民;水田3.2ha、自然養鶏1,000羽 <略歴> 1949年 山形県長井市に生まれる 1975年 農家の後継者として農業に従事 1977年 山形県置賜百姓交流会設立・同世話人 1989年百姓国際交流会実行委員長 1991年レインボープラン調査委員会設立、同委員長  1999年農水省堆肥センター機能強化検討委員会委員 2000年山形県総合政策審議会委員 2004年レインボープラン推進協議会会長(2006年退任) <現在>  やまがた農産物安全・安心取り組み認証委員会委員 アジア農民交流センター共同代表 山形県置賜百姓交流会世話人 NPO法人・レインボープラン市民市場・虹の駅理事長 環境カウンセラー(環境省) <著書> 「生ゴミはよみがえる」(講談社)  「地域が主役だ」(共著・社会評論社) 「台所と農業をつなぐ」(共著・創森社) 「玉子と土といのちと」(創森社) など。 他

 

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